NATUさんがとてもいい意見を書き込んでくれたので、僕は自分の個人的な体験を書きたいと思います。参考になるかどうかは分からないけれども、読んでくれれば嬉しいです。
僕も子供の頃、親の愛情に飢(ウ)えていました。特に父親の愛情は弟にばかり注がれていると感じて、いつもひがみ、弟をいじめました。そうしてバランスを保っていたのだと思います。
ある日、お父さんが弟だけを誘って遊びに行ってしまいました。兄である僕には本当に秘密でいつの間にか二人で出かけてしまったのです。気がついたら自分一人取り残されていたのです。
これにはさすがにこらえきれなくて、父と弟が帰ってきたときに泣いて抗議しました。これを境に父のえこひいきと差別は止まりました。
でも僕の心はかたくなになって父に対する恨みと弟に対する憎しみはかえって募(ツノ)っていきました。いつの間にか自分の心を決して人には明かさない孤独な子供になってしまいました。
自分の辛さや悲しさはもちろんのこと、喜びや感動も人に悟られたくないという内向的で素直さのかけらもない性格でした。それでいて表面的には明るく振る舞い大人や先生の意向を見て取って、それに合わせるずるがしこさを身につけるようになったのです。
こういう性格だと、自分を表現できないのだから、色々な場面で嘘をつくようになりました。嘘に嘘が積み重なってつじつまを合わせるのが本当に大変でした。本当の自分とは違う自分を作っておく必要があったのです。
家族や友人を裏切り続け傷つけてきた人生でした。時々「何のために?」と自分に問いかけましたが、どうしても答えが見つかりませんでした。
子供の頃から「呼吸法」をやっていて、高校3年の時に病気をして入院したときに「呼吸法=瞑想」が急に深まりました。人との関係を思い返していくことで、自分を見つめることが出来るようになったのです。でも、父親と弟のことはいくら瞑想してもどうしても思い出せないのです。
この時に初めて自分の心に深く深く食い込んだ父親と弟に対する不信と憎しみに気がついたのです。この思いはあまりにも深く心に食い込んでいたので、意識することさえ出来なかったのです。
このとき、心の闇(ヤミ)にかすかに光が当たったのです。
それでも父や弟をすぐに許せるようにはなりませんでした。しかも、それまでの自分の人生の嘘と真心のなさにいっそう苦しむようになりました。
父を許し弟に対して自分がどんなにひどい兄だったかが分かるまでにまた何年もかかりました。
父に感謝し弟に素直にわびられるようになったのはつい最近の事です。それまでは、人も許せなかったし、自分のことも許せなかったのです。僕には、人を決して信じない心と自分を否定する心がごちゃ混ぜになっていました。
あゆみさんにメールを書いているとどうしても神様の話になってしまうのですが、もうひとつ、神様の話をします。
2千年ほど前、鞭(ムチ)で打たれ、いばらの冠(カンムリ)をかぶせられ、つばきを吐きかけられて、十字架に付けられた人がいました。この人は、自分の手首と足首に釘(クギ)をうちつけて自分を磔(ハリツケ)にする人たちのために、「天の父よ、どうかこの人達をお許し下さい、この人達は自分で何をしているか分からないのです」と言って祈りました。
自分を殺す人のために祈ることの出来る人間がいるのだろうか?と思ったのがこの人について真剣に勉強するきっかけになりました。この人はイエスキリストですが、この人のことを自分に関係のある人として考えたことがなかったのです。
最近この人を通じてやっと神様のことが少しずつ分かるようになりました。
あゆみさん、いまあなたが悩み苦しんでいることはすぐには解決できない問題かも知れません。NATUさんも10年以上かかったと言ってますね。僕はそれこそ何十年もかかりました。
何年かかっても、あなたにはこの問題を乗り越えていく力があります。なぜこんな事を言えるかというと、神様はその人に乗り越えられない問題を与えることはないからです。
NATUさんの言葉をもう一度ここに書きます。
「時間はかかったけど光は来ました」
あなたの心に光が射し込む日が来ることを祈っています。