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「瞑想(メイソウ)」というとどんなイメージを持ちますか?
お坊さんやヨガの行者(ギョウジャ)がやっている「座禅」を組む姿が思い浮かぶかもしれません。また現実世界から離れて「無我の境地」に沈んでいく精神状態の事だと考える人もいらっしゃるでしょう。
それはそれで正しいのですが、当センターで指導している「瞑想トレーニング」は、それとはちょっと違います。
「座禅」を組むわけではありませんし、「無我の境地」を目指すわけでもありません。最終的にそこまで行こうと取り組む人はいますが。
「心」を見つめるトレーニング
一言で言うと、「自分の心を見つめて自分のことを理解するトレーニング」だと言うことが出来ます。
「自分のことならもう十分に分かっているよ」と思われるかもしれませんが、子供はもちろん大人も案外自分のことは良くわかっていません。
人はそれぞれ産まれてこのかた「人間」をやって来ているわけですが、「他人」のことが良くわからないのと同じように、実は「自分」のことも良くわかっていないのです。
ところが「自分」を理解しようとして一生懸命「自分」のことだけ考えても、「自分」が理解されるわけではありません。
「誰か」と向かい合う
それは、「自分」というものが「誰か」と向かい合って初めて理解されるものだからです。
「自分」と向き合う「誰か」、ここでは「お母さん」や「お父さん」、「兄弟」や「友達」と考えていいでしょう。なかでも、「自分」を育ててくれた父母は「特別な存在」です。
また「おばあちゃん」や「育ての親」が実の父母以上に大切な存在だという人もたまにいますね。
それから「自分」を「いじめ苦しめた」友達もある意味で「特別な存在」です。
当センターの「瞑想トレーニング」では、呼吸法をベースにして、これらの特別な人々との間にあった「具体的な出来事」を思い出してもらいます。
その時々に「テーマ(相手)」を与えて、過去の一時期にさかのぼって精神集中をしてもらうわけです。
たとえば「お母さん」
こうすることで、例えばお母さんを例に取ると「お母さんから自分は何をもらったのか」、「お母さんに何を返すことが出来たのか」、それから「お母さんにとって自分は何者なのか」という「問い」を通じて、より深く「自分」を理解する事が出来るようになります。
ちょっとトレーニングを積むと、三四歳の頃の記憶でさえ鮮やかによみがえるようになります。
時にはある出来事を、まるでもう一度体験しているように感じることがあります。
嬉しくて喜びに満ちた記憶ばかりでなく、もちろん苦しくて辛い記憶もよみがえりますが、やがてその時々の自分を客観的に理解できるようになります。
本当の「自分」
このことは「自我」を強めると同時に、その「相手」についての見方考え方(評価)を大きく変化させます。
一方で「自分は何もしてあげられなかった」という「気づき」を起こさせるのと同時に、他方では「やむを得なかった、そうならざるを得なかったんだ」と「自分」をはっきりと肯定することが出来るようになります。
「自分」を否定していたんでは元気が出る訳ないですよね。
こうして「今までの自分」という否定的な自己イメージが崩壊して、自由で自発的で積極的な行動をとれるようになるのです。それが「新しい自分」であり、実は「本当の自分」なのです。
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